んん。
よ~し。
この数日、どっぷり感情と向き合いました。
いや~浸った浸った。
いや~そうだったのね。ご苦労さん。
母と私のことで、私を縛りつけていた感情の正体が分かりました。
それは、 “寂しい” でした。
本当は、抜け出そうと思えばすぐにでも抜け出せたんです。
でも、敢えて抜け出そうとは思いませんでした。
私は、なんでもかんでも前向きに考えりゃいいってものではないと思っています。
時には、一般的に“負”と言われる感情にも、向き合わなきゃいけない時があるんじゃないでしょうか。
と言っても、向き合った結果が、落ち込んで立ち直れない……という状況になるなら、向き合わない方がいいと思います。
要は、タイミングの問題じゃないかと。
“寂しい”という感情が浮き出てきたとき、「今の私なら受け止められる」と思いました。
だから向き合いました。
小さい頃からの私が、29歳の今の私を選んだ。
今なら大丈夫と思ったから、浮き出てきたのだと分かりました。
おかげで流れも止まったし、“寂しい”ことをぐいぐい引き寄せました。
ブレスレットには、迷惑をかけると分かっていて敢えて言いました。
「一緒にいてくれ」と。
仕事以外には外にも出ず、家で食うか寝るかを貪り、ただ自分を見つめて、向き合って、それだけのために時間を浪費して。
その度に出てくるキリのない“自分”を、ただただ受け止め続けました。
私でさえ知らなかった“自分の本音”は、長い間行き場もなくさ迷い続けて、すっかりへそを曲げてしまっていました。
ごめんね、遅くなって。
そう言うと、ふらふらと空へ上っていきました。
私は、最初から大丈夫だったんです。
状況はなにも変わっていない。
ただ、“それ”に気づいただけ。
もう種は蒔いた。
誰が水をやるだろう。
母さん、私は待っているよ。
母さんが自分で気づいて、私のところに来てくれるのを。
何年かかってもずっと待っているよ。