左目から見た世界

好きに生きるわ。

思いつくままに 85

今回、広島に帰省するに当たって、宣言&実行する決意をします。
これから実家に帰るたび、少しずつ実家の物を持ち帰り、処分していくことにしました。
短期間で終わらせるつもりはありません。
母が本当の老後に入る10年後、20年後を見据えて、10年20年かけて少しずつ物を減らしていくつもりです。
そう、これは、母の老後に備えてのお片付け。
そして、母がこの世を去った後の、遺された私たちの為のお片付け。

母は現在61歳、娘の私は30歳。続く妹弟も、アラサーと呼ばれる年齢に突入しています。
片付けなんて、まだ早すぎるのではないかと思われるかもしれません。
実際、早すぎるとは思うのです。
でもそれは、「母がこの先、自分の意志で片付ける気があるならば」です。
その意志が少しでも見えたならば、私も今やらなければとは、思わなかったでしょう。

ブログには具体的には書きませんでしたが、結婚してから母とは、いろんなことでぶつかり合い、傷つけ合い、今日までやってきました。
その中で母とは、自分が子供だったときのような関係とは違う、別の形の付き合いが始まっていると、私は感じています。

昔と大きく変わったと思う点。
それは私が 「母が絶対的な存在、何が何でも信じるべき存在ではなくなった」 と思うようになったことです。

子供の頃の私は、母のことを盲目的に信じきっていました。
絶対的に母が正しい、母が怒ったらそれは自分が悪いから、間違ったことをしたからだ、と。
その考えは恐ろしく純粋で疑うことを知りません。
そしてそれが、子供です。
子供が大人として成長する時。
子供は親を疑い始めます。

正しいと思っていた言葉は、ヒステリックな感情論で中身が支離滅裂、滅茶苦茶であったこと。
誰にも頼らず一人で頑張る母は強い人だと思っていたが、「断られること」を異常に恐れるあまり、人に頼ることができなくなってしまっていたこと。
常に実母(私にとって祖母)の機嫌を窺い、勝手にストレスを溜めていること。
「自分は親に愛されていない」と思い込み、私にそれを吐き続け、私を愚痴のゴミ箱にしていることに気づいていないこと。
私には何を言ってもいい、何を言っても分かってもらえると思い込んでいること。

そんな母は、「ああはなりたくない」と言っている祖母にそっくりだということ。

そんな、「絶対的に正しい存在」が、「普通に間違える、自分と同じ普通の人間」と感じるようになった時、子供は親を “親” としてでなく、 “一人の人間” として認識するようになる。
そして私は、それが60歳と30歳を超えた今の私たちに必要な親子関係だと思っている。

でも、母はそんな私の成長を喜ばなかった。

はっきりと言葉で認識しているわけではないと思う。
でも無意識に、 「自分の生んだ子供が自分とは違う意思を持っていることが気に食わない」 と感じているのは、言葉や態度の端々で痛感する。

『子供は親の言うことに“はい”と言っていればいい』
『逆らうな』
『意見するな、生意気だ』

こういう考え方をする大人は、子供のことを『自分の体の一部』だと本気で思っている。
そのために、子供が「別の人格」であることを受け入れられない。
無意識に、自分とは違うことを心のどこかで拒絶している。
自分の腕が、自分の意思に関係なく勝手に動くようなもの。
自分の意思と違うことをされるのが、気持ち悪いのだ。
だから親は子を否定する。
子供の人格を否定することで、歪んだ関係を保とうとするのだ。
恐らく母は、そんな形を祖母に強要され、逆らえず今日まで至ることとなったのだろう。
60年の間で感覚は完全に麻痺し、祖母との関係にストレスを感じながらも当たり前のように自然に受け入れ、私との関係も当たり前のようにそうなると思い込んでいる。
私は母と違い、その関係に耐えられず、潰れた。

母は、自分の親、私にとって祖母に、言えなかったのだ。
「お母さんの言っていることはおかしいよ」と。
母は祖母に逆らうことを恐れるあまり、「大人になること」をやめ、「一生母の子供で居る」ことにしたのだ。
本当は心の底からおかしいと思っているくせに、異常なまでに自分の本音と向かい合うことを恐れ、逃げ続けた。
その代償は凄まじく、今も体は生死をさ迷う病魔に犯されている。

もはや、狂気だ。

母にとってぶつかり合うこと、向き合うこと、自分の思いを伝えることは、それほどまでに恐ろしく、嫌なことなのだ。
母はそうやって、60年以上生きてきて


子として初めて本気でぶつかっていった私とも、ついに向き合ってはくれなかった。


ああ、寂しかったさ。
とても辛かった。
でも母には、私を受け止めることができないことがよく分かった。
親子であろうと、無理なものは無理なんだ。
母は、「私の親」である前に
「親に愛されず傷付いた子供」なのだから。

だから私は、母がそうであるなら
母と本音で話し合うことを一切放棄する。

親子なんだから、話し合えば分かり合えるなんて綺麗事をぬかすやつはそのまま幸せな親子関係を守っていってほしい。
世の中には、腹割って話し合いたくてもできない関係があるということ。
親子であろうと、血の繋がりがあろうと、分かり合えないものは分かり合えないということ。
私はそれを、事実として受け止める。
そして今回、実家の物を片付けていくことは自分一人で、密かに水面下で進めていき
嘘も存分に使っていく心算だ。

私はこれまで、母に対しくだらない嘘も、つまらない嘘も、傷付ける嘘もたくさん吐いてきた。
でも一つだけ、「自分は悪くない」と言える嘘がある。


だから言えなかった。
苛められていても、どんなに辛くても、助けて欲しくても、ただでさえ大変なおかあさんにこれ以上迷惑はかけられない、重荷になりたくないから。


助けて欲しかったのに、隠し続けてきた一世一代の“嘘”。
結果として気付いてくれなかった親を恨み、周りを恨み、自分を憎んで心を壊して、何年間も立ち上がれなかった時期がある。
結果として、やり方そのものは正しくなかった。
私はそこで、泣いて助けを求めなければいけなかったんだ。
泣いて助けを求められる環境で、なければいけなかったんだ。

でも、子供の頃のそんな自分を、今の私が責めることはできない。
正しくなかったけど、間違っていたわけじゃない。
間違ってなんかいない
だって、心配かけたくなかったんだろう?
朝から夜まで働きずくめで、毎日疲れきっている母さんにこれ以上負担かけたくなくて、母さんのことが心配でたまらないから嘘を吐いたんだろう?

やり方は正しくなかったかもしれない。
けど、それでも子供なりに必死で考えて、親を守ろうとした思いは間違いだったと言えるか?

間違ってない。間違いであってたまるか。大事な人を守るために吐いた嘘なら、私はそれを悪とは言えない。それが悪なら正義って何だ。それが悪なら私は悪でいい。

自分とひとつ、約束をする。
これから存分に吐く嘘は、「絶対に人を傷付ける嘘であってはならない」。
そして、大人になってから今日までの、母とのぶつかり合いで、一番犯してきた痛恨のミスは
嘘を吐かなかったことだ。

ぶつかり合うことが全てにおいて正しい訳じゃない。
世の中には、母のように本音で話し合うことが嫌いで、苦痛だと感じる人間もいることを、私は学ばなければならない。
必要な嘘もあるということ。
それを学んで、また一歩進め。


今回、実家を片付ける前に長々とこんな話を書いたのは
いつか心が折れそうになった時、きっと私はここに帰ってくると思うからだ。
もしここへ戻ってきたなら、このページを何度でも読み返せ。
そして何度でも言ってやる。
大丈夫だ、迷わず進め。
自分の思うように、思い描く形を目指して進んでいけばいい。
大丈夫
きっと私なら出来る。

最後は笑ったもん勝ちだ。



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