今日もどこかで生きている

生まれてきてよかったと思える人生を。

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chiroの巡るごはん 171

月曜日のこと。
夫の三連休最後の休み。

土日はずっと外で遊んでいたので、休み最後の日は家でのんびりすることにした。

ちょうど良い機会なので、休みの日における私の思いを、夫に打ち明けてみた。

平日は会社に行き、休日は基本的に寝ているので、普段私が何をしているかをいまいち把握していない夫。

休日は私もなるべく家事を頑張らないようにしているが、それでも何もしていないわけではなく、夫が寝ている間に食器洗いや洗濯、買い物などの家事はいつも通りこなしている。
そこに夫がいると、夫の希望でどうしても三度の飯が必要となってくるため、どうしても平日と比べて私の家事負担が多くなる。

休日において、私が負担だと感じるのは食事面だけなので、せめて昼ごはんだけは自分でなんとかしてほしいことを、私は夫に伝えたかった。

しかし、「“負担”と言うとまた機嫌を損ねるかな」と要らぬ後ろめたさを働かせてしまい、「三度もごはんを作ると一日中台所漬けになってしまうから、ごはんは自分で何とかしてもらえないか?」という言い方をしてしまった。

その言い方が原因でまた揉めることとなった。
疲れた。

結果的に昼ごはんは自分でやってもらえることとなったが、話の中で夫が、主婦は平日好きなだけゴロゴロできるんだから、その分休日は頑張れるだろう?と思っていることが判明した。

どっと疲れた。

私が夫の仕事の大変さを真の意味で理解できないのと同じように、夫が私の家事の大変さを理解できないのは当然だと思う。
しかし、その言い方はあんまりじゃないか?

夫は、寝溜めや食い溜めはできるものだと信じていて、それを休日に実践しているのは、別に良いと思う。
しかし自分ができるからと言って、私も出来ると当たり前に思っているところが、なんというか、冷めた。

私、夫のことを男として愛していなくて良かったと思う。
そういう思いがあったら、うっかり愛が枯渇するところだった。


私にとって、夫って何なんだろう。
きっと、男とか女とか、夫婦とか、そんなんじゃない別のところにあるんだろうなという気がする。

そんなんでも一緒に暮らしていけるって、私って適応能力すごくねーか?
と、乾いた笑みが漏れる一日だった。


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夜ごはん 夫作 豚汁など

昼ごはんだけでなく、夜ごはんも、お互い食べたいものの意見を出し合って、足りないものはお互いが作ることになった。

実はこれが、私にとって一番助かる変化だった。

夫は三食のうち、夜ごはんに重きを置くタイプなので、負担でいえば夜ごはんが一番大変だったのだ。
(昼ごはんは、せめてそこだけはラクさせてほしいという願いだった。)

それが、「欲しいおかずは自分で作る」ことが正式に決まったおかげで、私はそこでも負担を感じなくて済むようになった。

一日中喧嘩してしまったけれど、最後はいつも助けてもらっている。
なんだかんだで、私の負担を少なくしようとしてくれるのが見えるので、嬉しく思う。
きっと、「主婦は平日暇だろ?」というのも、本音では思っていないと思う。
そう信じたい。
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米なすと書いてべいなす
この手に収まりきらぬでかさ!

夫は豚汁を、私は焼きサンマと夏野菜の味噌のせを作った。
夫も負担を請け負ってくれたと思えば、負担に感じていたおかず作りも、負担に感じなくなる。
夫が頑張ってくれたお返しをしたくなる。

それぞれが食べたいものを作ることによって、その日の食卓にどんなものが並ぶか分からない楽しみも出てくる。

これなら、休日のごはんがすごく楽しみになりそうだ。

美味しかった。
ありがとう ご馳走さま。



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