今日もどこかで生きている

生まれてきてよかったと思える人生を。

今日もSNSのどこかでお会いしましょう。

盆踊り大会

夜の散歩に出かけたら、遠くから盆踊りの音楽が聞こえてきた。
↓↓

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やった ギリギリ盆踊り大会に参加できた。

周りの露店はもう閉まっていたけど、盆踊りは続くらしい。

踊りに参加したいような、近くで見ていたいだけのような、自分の気持ちが分からなくてぽつんと立ち尽くしていた。

去年の盆踊り大会も、こんなふうに、踊る大衆の前で立ち尽くしているだけだった。
私は大衆の前になると、自分の気持ちが分からなくなるらしい。

まだ、子供の頃のトラウマを引きずっているなぁと思う。
虐めによってすっかり自信を無くしていたから、自分のやりたいことをやるなんて、とてもじゃないけど出来なかったんだよね。

もうそんなトラウマ引きずることもないと思っているのだけど、そこは無理矢理言うこと聞かすところじゃないから、心が自然と「私も輪に加わりたい」と思えるようになるまで、私は私を見守っていこうと思う。
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提灯が好き。

提灯とか、ぼんぼりとか、火の灯る暖かそうなものが好き。

もうすぐお盆がやってくる。
盆踊りは、死者を供養するための踊りだ。


昨日、母さんから電話がかかってきて
Yちゃんが死んだと聞かされた。


私が小学生になったばかりの頃、母さんがキリスト教徒になった。
教会は家から車で1時間ほど離れたところにあって、家に子供を残しておけないからと、私たち兄弟も一緒に、母さんに連れられて教会に行っていた。

Yちゃんとは、そこで知り合った。
毎週日曜日だけに会って、たまに話をするだけの関係。
言わば「教会メイト」と言った感じで、私はYちゃんのことを、友だちと呼んでいいのかどうか、分からないでいた。

私が母さんに連れられて教会に通っていたのは、小学生から中学生に上がる頃までだった。
中学生になってからは、部活に入ったことを理由にして、教会には行かなくなった。

自分が行きたくて通っていたわけじゃない。
むしろ、「行きたくない」と言っても無理矢理連れて行かれていたことが原因で、教会に行くこと自体が大嫌いになっていた。
教会自体も、本当は大嫌いだった。

たまたまだとは思う。
こんな教会ばかりじゃないとは思う。
しかし、この教会には「神様」の存在なんて微塵も感じることができなかった。
ここには、俗物臭い人間たちしかいない。
子供心にそうとしか感じられなくて、「教会なんて二度と行くものか」とまで思っていた。

他の子供たちも、きっと私と同じように、無理矢理親に付き合わされていたんじゃないかなと思う。
私が教会で知り合った子供たちは皆、中学に上がる頃になると、誰も教会に近寄らなくなったらしい。
私の妹と弟も然り。
Yちゃんとも、顔を合わせることも話すこともなくなった。

顔を合わせなくなってから、10年以上の月日が流れた。


ある日、私は再び教会に通うようになった。

と言っても、広島に帰省した時だけ。
母と一緒に、車で1時間かけて礼拝に参加する。

また通いたくなったから、ではない。
母さんが、末期がんになったからだ。

母さんは、私ら子供たちがまた、神の下に戻ってくることを望んでいた。
私は、母さんが喜ぶことをしてあげたいという、それだけの理由で再び教会に行くことを選んだ。

母さんはそれをとても喜んでいた。

そして、その何回目かの礼拝通いで、Yちゃんと再会した。

Yちゃんのことは、母さんから少しだけ話を聞いていた。
教会に通わなくなってすぐに、ダイエットをしたことが切っ掛けで、重度のアルコール中毒になったらしい。
「かなりガリガリになっている」とは聞いたけど、実際に会うと、確かに体重が激減して痩せ細っていた。

私はぶっちゃけ、Yちゃんのことが苦手だった。
言葉遣いがちょっと乱暴で、そこがキツいと思っていたから。

でも、何度か会ううち、Yちゃんはそんなにキツい子じゃないということが分かってきた。
面白いこともいっぱい言う子だということが分かってきた。

Yちゃんのことが、そんなに苦手じゃなくなってきた、その時期に、私は教会に通わなくなってYちゃんとも会わなくなったのだ。

10年以上ぶりに再会したYちゃんは、子供の頃話をしていた時よりも、さらに優しい接し方で私に声をかけてくれた。

それが嬉しくて、体重が減って見かけが変わったことなんて、私にはどうでも良くなった。

「Yちゃん変わってない」と言うと、Yちゃんは「嘘だ、こんなに変わってしまったのに」と言って笑っていた。

嘘じゃない。
Yちゃん変わってないよ。
私がYちゃんのことを、母さんからいろいろ聞いていたように
Yちゃんも私のことを、親を通じていろいろ聞いていただろうに

Yちゃん、私のことを笑わなかったじゃないか。
馬鹿にしなかったじゃないか。

10年前と同じように、10年前よりも柔らかい接し方で話しかけてくれたじゃないか。

Yちゃんやっぱり、キツい女の子なんかじゃなかったよ。


最後に会ったのは、半年くらい前。
ちょうど、横浜から大阪に引っ越しが決まった時だった。

教会にいた人みんなで、同じ弁当を食べた。
もちろんYちゃんも私も、同じおかずを食べた。

その時は誰も、半年後にはYちゃんがいなくなるなんて思うはずもないから

Yちゃんとの別れ際も、「また会おうね~」なんて呑気なものだったような気がする。

もはや、半年前の会話なんて覚えていないくらいだ。


お盆を目前にして、Yちゃんは天国へと旅立った。

Yちゃんの四十九日はお盆真っ只中で、Yちゃんがこの世に還ってくるかどうかも分からない。

もしも私が盆踊りに参加したら、Yちゃんはそれを見ているか?

分かんない。
見えないものは見えないし、そもそも生きていた時も、Yちゃんの気持ちなんて肉眼で見ることも、感じることも出来なかったのだから。


それに今も

涙一つ出てきやしない。


Yちゃんが死んだことを実感するには

Yちゃんと、もう会えないことを実感するには

私は、Yちゃんと関わった時間が、あまりにも少なすぎた。


昨日、Yちゃんの葬式に参加してきたという母さんは

教会メイトのおばさんと一緒に、耐えきれなくてボロ泣きしたらしい。

Yちゃんの家族は、誰も泣いていなかったというのに。


Yちゃんには、90歳を超えるお婆ちゃんがいる。

そのお婆ちゃんと、いつ死んでもおかしくないと言われている末期がんの母さんより、Yちゃんは先に死んだ。

「やりきれんわ」と、母さんは言う。


末期がんじゃなくても、順番だけで言えば、親である母さんたちの方が、先に逝くと普通は思うからね。

Yちゃんの母親は、やはり教会メイトであるうちの母とも仲が良くて、親同士子供らのことを報告し合う仲らしいけど

葬式の時、Yちゃんが死んだことを
「ホッとした」と言ったらしい。


私はその言葉を、酷いとはとても思えなかった。


死んだYちゃんも、Yちゃんに付きっきりで10年以上看病してきた親も

部外者には想像もできない痛みや苦しみを味わってきているはずの中で

何も知らない部外者の私たちが、どうしてその親子に向かって野次を飛ばすことができる。

そんな鬼に私はなれない。


私には何も分からない。

ただ一つ分かることと言えば


死んだYちゃんも、その親も、その家族も、周りの人もみんな

誰一人悪くないということ。


誰も悪くない。

それだけしか分からない。


だけど、だからこそ

誰も悪くないからこそ


Yちゃんたち家族は、ここからが辛いかもしれない。


でも、周りにできることなんかなんにもなくて

なんにもできないからこそ、周りが必要だってことも

私は知っているから。


Yちゃん

あなたは、素晴らしかったよ。

花丸だよ。二重丸、100点満点だよ。

アルコール中毒のあなた、100点満点だよ。

あなたは、生きてる時も、死んだ時も、パーフェクトだった。

あなたの存在、パーフェクト。


私に声をかけてくれたこと、絶対に忘れない。

ありがとう。今もそう思っている。

そして、これからも宜しく。

死んだからって、私はお別れとは思ってないからね。

まだまだこれからも、Yちゃんには迷惑かけるよ。

お世話になるし、やりたいこともたくさんあるよ。

だから、今はまだ涙が出ないから、私は泣かないね。

泣きたくなったら泣くね。

その時は思いっきり名前呼ばせてもらうから

その時は私の傍にいてよ。


Yちゃんが死んだからって

私は楽しいことするのやめないよ。

私が楽しいことをする時は

Yちゃんも一緒に楽しんでいいんだからね。



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