左目から見た世界

好きに生きるわ。

「病気」について

前回の記事で、病気について自分の思うことを長々~と書いてみたけれど、一言でまとめればこうなる。
↓↓


「不安」が「病気」を作っているということ。


この「不安」も、掘り下げていくといろんな形が見えてくるけれど、今はそこまでやるつもりはない。

「不安が病気を作っているなんて、そんな簡単な話があるか!?」と、非難嗷嗷浴びることを百も承知で言わせてもらうなら、私はそうであると考えている。

というより、一年前の自分の状態や、母さんががんになったことを通じて、そう考えるようになった。

例えば私が、母さんとの関係を「辛い、苦しいもの」と思わなければ、そもそも心を病む必要など無かったのだよ。

例え母さんとの関係が私にとって良くないものであったとしても、私がそれを気にしなければ、何の問題にもならなかったのだ。

私が母さんとの関係を辛いと思ったから「問題」になっただけであって
もしも最初から、「母さんがどう思っていようと、私には関係ないわ~」のスタンスだったら
心を病む必要などなかったのだよ、私は。


でも、しなくていい病気をしてまで心を病む必要が、私にはあったということなのだろう。
そうでなきゃ、今の私がここにいる説明がつかないからねぇ(笑)

母さんもまた、今はがんであることが必要だから、今はがんになっているだけの話だと私は思う。
がんである必要がなくなれば、がんである必要もなくなると思う。

そんな単純な話だと、私は本気でそう思う。

「がん」であることや、「うつ」であることに着目しすぎて、問題を難しくする必要はないと、私は思うのだよ。

要は、その人次第。

強いて言うなら、そこが一番難しいんだろうね。

そして「私はこれで大丈夫」という「自信」が「ない」から、みんな「病気」になるんだろうね。

だったら、どうすれば「病気」にならずに済むのだろう?

私はこう考える。
↓↓


「私はこれで大丈夫」という「自信」が「あれば」、「病気」になる「必要もない」。


この意味が分かるだろうか?

みんな、「自分に自信がない」から病気になるのさ。

みんな、「安心できない」から病気になるのさ。

病気をやめたい人は、やめればいいのさ。

母さんも、がんをやめたいならやめればいい。

そんな単純な話が、「ある」のさ。

要はその人次第。

母さんは「がん」を「やめる」ために

今、必死に自分と向き合っているのさ。


そんな母さんには、“必要だから今が在る”のさ。

必要だから子供たちがいて、友人たちがいる。
今の母さんに必要だから、抗がん剤ストップや転院や、緩和ケアがある。
その流れに乗ることが、母さんにとって一番「安全」で、「安心」なのは、がんで死ぬつもりはない母さんの意思や言動を聞いていれば分かる。

「あ、母さんは死なない、大丈夫なんだ」と思えば、私はホッとする。
母さんは大丈夫だと安心できる。

緩和ケアと聞いて、「絶望」と取るか、「安心」と取るかは、その人次第で
安心と取っても、「死ぬため」か「生きるため」かは、またその人が好きに選んでいいのだ。

全ては、その人次第なのさ。

「がん」と聞いて難しく考えなくてもいい。

要は、「自分はどうしたいか」という、単純な話なのだ。


分かってる。

この「単純」がむちゃくちゃ難しいんだよね。

この「単純」ができないから、みんな泣いて悩んで苦しんで、誰かのせいにして自分は悪くないと思いたいのだ。

大丈夫なのだよ。
みんな「悩みたいから悩んでいる」だけで
やめたかったらいつでもやめられるのだから。

母さんはまだ、「悩んでいたい」だけだよ。
そのために「がんである状態」なだけなの。

私もそう。
母さんのことで悩みたいから「精神を病んでいる状態」であっただけ。

「その状態」に
「良い・悪い」をつける必要はないのだよ。

どんな自分でもいいんだよ。
どんな自分もいい。
どんな自分になってもいいし
なりたくない自分にはならなくていい。

その、「なりたくない自分」になった時に「病気」は起こるから
病気になりたくないなら、「なりたくない自分」をやめればいい。

なりたい自分になってごらん。
全ては自分次第でどうにでもなるから。


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広島 横川駅周辺にて



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