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法話とミニ坐禅

鶴見駅5F・坐月にて

法話とミニ坐禅に参加しました。
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普段は10時オープンですが、今日はイベントのため通常営業は11時から。

店内にどーんと畳があってびっくり。

床の間まであります。完全に日本家屋。

今回は臨済宗大本山 円覚寺 教学部長の朝比奈惠温(あさひなえおん)師が講師でした。

ちなみに私、宗教やお寺のことがさっぱり分かりません。

禅を体験してみたかったのと、お坊さんの口からなにかいい話が聞けないかな~と思ってやって来ました。

参加者のほとんどが50代以上でした。

禅に興味を持つのが、ちょっと早かったかしら?


禅の呼吸法を教えてもらいました。

坐禅自体は床の上で足を組むような本格的なものではなく、椅子に座るフラットなものでしたが、足の痛みと戦うことなく禅に集中できるので、かえってよかったと思います。

木の棒でベシッと叩いて喝を入れるのも、朝比奈先生が一方的に叩いてくるのではなく、叩いてほしい人にだけ叩くという、自由度の高い坐禅でした。


私も思いきって叩いてもらいました。

叩いてもらうまでの葛藤?が今回一番の気づきと体験でした。


喝してほしい人はしてあげる、目の前でそう言われているのに、体験できるチャンスがあるのに、掴まなかったら後で絶対後悔すると分かってるのに、「自分から名乗り出る」というのが、私にとってあまりにもハードルが高すぎる。

心臓バクバク、恐怖が身体中を支配して、声もでないし指も動かない。

そこでフラッシュバックしたのが、小学生の時の記憶でした。
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私は人前に立つのが怖かった。

注目されるのが怖かった。

自分の意見を言うのが怖かった。

批判や反論に対し、応えられないのが怖かった。


私には自分の意見がない。

やりたいことも、言いたいこともない。

いいや違う。

やりたいことも、言いたいことも分からない。

自分が分からない。

何がしたいのかも、どうすればいいのかも。

怒られるのが怖い。

大勢の中に隠れていれば安全だと思った。

大勢の外に出て、一人になるのが怖かった。

自分がないのを見破られたら攻撃されると思った。

ボロボロにされると思った。

それくらい「自分の意見を言う」ってことは、私にとって恐怖だった。


バクバクの心臓と、ガチガチの手で「喝」を申し出た。

めっちゃ怖かったし痛かった。

これが喝の痛みかぁ、なんて思ってると、心臓のバクバクが消えていることに気がついた。

穏やかで、ゆっくりとした脈拍に変わっていた。


痛かったのに、それ以上に呼吸が心地よく流れている気がして、全身スッキリした。

なんかすげぇ体験した気がする。
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お茶請け・ゆずどら焼きと緑茶♪

話はほとんど聞いていなかったけど(←)、禅の呼吸と苦しみから解放されるあの感覚を味わえただけで、参加してみて本当によかったと思う。

私は今でこそ、好きなとこに出かけたり自分のやりたいことをやったりしているけれど、最初から今みたいなことができていたわけじゃない。

そしてこれだけ好きなことをやっていても、人前では自分の意見をはっきり言えないトラウマが残っていたりして、自分の知らない自分、忘れて置き去りにしている自分がまだまだあるなと感じました。

次は人前でも、自分のやりたいことをはっきり言えるようになりたい。

そのために「自分」のことをもっとよく知りたい。

自分が何が好きなのか、どんなことをしたいのか知らないと、「自分の意見」って言えないから。