左目から見た世界

好きに生きるわ。

不思議な記憶

今朝起きると、「夢だったのかな~?」と思う不思議な記憶ができていた。

夢にお母さんが出てきた気がするのだ。
そこでお母さんはこう言っていた。

「死んだ後からいくらでも家に帰れるし、気にしていないよ。」

一字一句はっきり覚えてはいないけれど、たぶんそんなニュアンスだったと思う。

お母さんが亡くなったあと、私たち兄弟が葬儀屋を探した。
お母さんの遺体は家に帰さず、直接葬儀場に運んでもらった。
お母さんが緩和ケア病棟に入ってから亡くなるまでの約2か月の間、お母さんはついに一度も家に帰らなかった。

お母さんの遺体を家に運んでもらうかどうかの話は、もちろん上がった。
それを嫌だと言ったのは私だった。
お母さんが生前言っていた言葉が、どうしても私にお母さんを家に帰すことを拒ませたのだ。

「家のどこにも休まる場所がない。どんなに辛くても、外に出ている方がよっぽどまし。」

その原因は、実の親である母、私にとって祖母だったという。
私はどうしても、「祖母のいる家」にお母さんを帰したくなかったのだ。
もしかしたら、お母さんは母娘の確執からはとうに解放されていたのかもしれない。
でも、私がどうしても嫌だった。
私は、親との関係で苦しみ続けた母さんを見ているから。

私は、わざと祖母から母を遠ざけるように行動を移した。
弟は、娘を亡くした親の気持ち、すなわち祖母の想いを強く感じていたけれど、私は祖母の気持ちを分かっていながら切り捨てた。
自分の器の狭さを痛感したけれど、母と祖母、どちらもは負えなかった。
どちらも負うことはできないと悟った時、私は祖母を切り捨てて母を取った。
鬼だと言われても、悪魔だと言われても
私にとって大事なのは、圧倒的に母だったのだ。

私は、自分のしたことに後悔はしていない。
していないけれど、でも本当は、ずっと気にしているのかもしれない。
お母さんを家に帰さなかったこと、実は心のどこかでずっと気にしていたのかもしれない。
だから、もしかしたら、お母さんがそう言いに来てくれたのかなと、自分にとって都合のいいように解釈しようとしている。

夢だったのかな。
それとも、あれは本当にお母さんだったのだろうか。
私がそう思いたいだけなのだろうか。

でも、どれが真実でも、私にとってそんなことは重要じゃない。
夢じゃなかったかもしれないけれど、お母さんじゃなかったかもしれないけれど
私が、あれはお母さんだと思いたいなら、そう思えばいいじゃない。
都合がよくたっていいじゃないか。
私がそれで救われるなら。
私がそれで心穏やかに居られるなら。
亡くなってからも、お母さんは私のことを気にかけてくれているんだなと思えば、それってお母さんからの凄い愛を感じられて幸せなことじゃない。
お母さんが「気にしてない」って言ってくれているのだから、信じたいなら信じればいいじゃない。
私はそれは逃げじゃないと思う。

ありがとう、お母さん。
亡くなってからも、世話かけるね。



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