左目から見た世界

好きに生きるわ。

no title

「chiroのおかげで助かるよ」

「いてくれるだけでいいんだよ」

私はこれらの言葉を、夫にすごく期待していた。

でもその言葉をもらったことは一度もない。

私、分かってしまった。

それらの言葉を、本当は誰に言ってほしいのか分かってしまった。


全部、お母さんに言ってもらいたかったんだ。


私、こんなにもお母さんを助けてあげたかった。

私、こんなにもお母さんの力になりたかった。

でも、私はお母さんを助けてあげることはできなかった。

私じゃお母さんを笑わせてあげることはできなかった。

お母さんの苦しそうな顔、辛そうな顔が何より辛かった。

それがいつしか「私じゃ駄目だ、お母さんの力にはなれないんだ」って、小さい心に罪悪感をいっぱい溜め込んでしまった。


私にとって、夫とお母さんは同一人物だ。


仕事が忙しくて

いつもいっぱいいっぱいで

余裕がなくて

いつも自分で何とかしようとしてばかりで

人に頼ろうとしなくて

自分も他人も信じられなくて

そんなお母さんのような人を、私は選んだんだ。


私は夫を助けたかった。

でも本当に助けたかったのはお母さん。

夫を助けることで、助けられなかったお母さんを助けようとしてた。

できなかったことをやり直そうとしてた。

そのための「結婚」だったんだ。


こんなにお母さんを助けたくて仕方がなかったのに

こんなにお母さんのことが大好きで

お母さんのためなら自分を犠牲にできるほどお母さんのことを愛していたのに

できなかった。

助けられなかった。

私じゃお母さんを助けてあげることはできなかった。

「助けたいのに私にはできない」という思いが私に夫を責めさせた。

全く癒されていない自分がそこにいるような気がしてる。


「いてくれるだけでいい」

その言葉を求める裏には

「私、本当は何もできないの!」


「力になりたくてもなれない」

「勉強もできない」

「仕事もできない」

「頑張ればできるけど、とてもしんどい」

「そんな私にごはん用意してもらえるのが申し訳ない」

「食べさせてもらうのが申し訳なくて仕方がない」

「何もできない私だけど、ここにいていい?」

「私のこと邪魔じゃない? 迷惑じゃない?」

「自信がない」

「私は生まれてきてもよかった?」

「お母さん幸せ? 私がいて幸せ?」

「私がもっといい子だったら、お母さんを幸せにしてあげられたのに、ごめんね、本当にごめん」



私は自分にそんな言葉を言わせ続けてた。

私が間違ってた。

自己犠牲をするのが悪いんじゃなくて

自分を犠牲にしてしまうほど、お母さんのことが好きで仕方がなかったんだ。

そんな自分を否定し続けてた。

本当にごめん。


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2016年1月 広島にて