5の続き。
“自分がなにを言いたいのかよく分からん”
それが上記の言葉に固まるまでは、漠然と “人と話すの苦手だなあ” と思ってた。
正直、大学を出るまで苦痛だった。
学生にとって、グループの輪に入れないことは、死活問題だから。
私も、なんとかしてグループに入れてもらおうと必死だった。
入りたかったわけじゃない。入っておかないと、その後でいろいろと困るから。
ずいぶん無理した。
ついていけないテンションにも合わせた。
知らない話題も、知っているふりをした。
疲れてるのに気づかなかった。
そういうもんだと思ってた。
大学を卒業してから、逃げるように過去と離れた。
友人と思っていた人からも、思い出からも。
正直、ほっとした。
罪悪感より、解放感が強かった。
そんな自分を良しとしながら、最低だと思った。
社会人生活は、学生生活とまるで違っていてびっくりした。
学生の時のように、常に「オン」にしておかなければならない状況から、社会人は「オン」と「オフ」の使い分けをする。
例えば、「仕事の顔」と「プライベートの顔」。
もっと具体的に言うと、社会人は仕事が終われば、みんなぱっと帰る。
「遊びにいっていい?」とか、「一緒に帰ろう」とか言わない。
(私の職場に限っては、「飲みにいこう」も滅多になかった)
連れションなんて当然ない。
学生時代の、「みんな、常に一緒にいなきゃ死んじゃうの?」みたいな状況はなんだったんだ? ってくらい、自と他の境界線をしっかり持ってる。
私はそれを見て、「自がしっかり確立していると、安定するのかな」 と思った。
そうすると、学生があんなにつるみたがるのは、仕方がないことなのかもと思った。
みんな、ひとりが不安だったのかな って。
私もできなかった。
ひとり、枠の外に出る勇気も、覚悟もなかったから、無理したんだ。
私が選んだんだ。
苦しかったのは、その代償。
仕方がなかったんだ。
投げやりとかじゃなく、そう思う。
なるようにしかならなかったんだ、って。
だからといって、過去の思い出が美しいものになることはないし、辛かったものは辛い。
だから私はなるべく思い出したくない。昔のことは。
たまに夢に出てくることもある。
その時の目覚めの悪さったらない。
周りに話しかけられて、とっさに口をつぐむ私がいる。
笑いそうになったままひきつって、みるみる不愉快になっていく相手の顔が、今も忘れられない。
そんな記憶が、今も私の言葉を奪っている。
でも、それでいいんだと思う。
私が忘れたら、その記憶たちはどこへいくの。
どうすればいいの。
私以外に、どうしてやることもできないんだ。
その記憶たちも、常に“今の私”を苦しめているわけじゃないし、“今の私”は、笑って許してやれるほどの寛容さもある。
しょーがねぇなー。って。
そんな記憶と一緒に、遙か遠くの空を見ることもあるのだ。
ほら、やっぱり振り出しに戻った。
“自分がなにを言いたいのか分からん” 。
いいのよ、それで。
分かんないけど、なにか感じているんでしょ?
それでいいのよ。
私は私の好きにしたらいいの。
今は幸せなんでしょ?
それでいいのよ。
さて、今日も
そろそろ活動を始めますか♪