学生の頃
卒業したら就職するか結婚するかの二択しかないと思っていた。
納得いかなくて結局どちらも選ばなかった。
5年間引きこもり、結婚して7年目の今、
子供を産むかフルタイムで働くかの二択しかないことに納得いかなくて、結局どちらも選んでいない。
今の自分はただの主婦ニートで、「子供を産まないなら働いてくれ」と夫から言われている。
そんな自分が胸張って正しいと言えることがあるのだとしたら、自分はなんと正しかったことかと叫びたい。
私は、どちらも欲しいのにどちらかしか選べないなんて大っ嫌いだ。
選択って、欲しいものを諦めるために使うものじゃない。
欲しいものを手にするために使うんだ。
私は本当は稼ぐのも働くのも嫌いじゃない。
主婦ニートになって、夫の稼ぎに依存してまで頑なに働かなかったのは、働く手段がサラリーマンかフルパートのどちらかしか選べなかったからだ。
夫にどちらか選べと言われたなんて、そんなの言い訳でしかない。
私がそれしかないと思っていて、それしか選べないと思っていたからだ。
私は自分の力で稼ぐのと不労所得のどちらも欲しい!
経済的に自立したい。
本当の自由を手にしたい。
自分の力で稼ぐというのは、誰の目にも労働に見えるのかもしれない。
だけど本当に欲しいもののためにする労働は
もはや「労働」という感覚じゃない。
やりたいからやるんだ!
私は本当は夫に養われたいんじゃない
自分で自分を養いたいんだ!
私が自由で在ることで夫が煩く言ってくるなら
夫を養って文句言えなくしてやる!
私は私の金で広くて自然いっぱいの家に住みたいんだ!
私は私の金で夫を温泉に連れていきたいんだ!
たくさんの人を幸せにできなくてもいい
自分を幸せにする力が欲しい
自分が幸せになることで
夫も幸せにしてやりたい。
これが私の物欲
これが私の生きる力だ!
私は欲しいもの全部手に入れてやる。
生きることを諦めてたまるか。
意地でも最期まで生き抜いてやる!
自分が本当はこんなに生きたくて生き抜きたくてたまらない人間だと知って、ボロボロ涙が出てきた。
泣きながら珈琲飲んでる変な人になっちゃった。わーん(つд⊂)