今日もどこかで生きている

生まれてきてよかったと思える人生を。

今日もSNSのどこかでお会いしましょう。

やりたいことがあるから

もう一度生まれてみようと思った。


" 生活 " がしてみたい。

誰かに生かしてもらうのじゃなく

自分の力で

どこまで生きていけるかを。


できてもいいし

できなくてもいい。

やれるとこまでやってみよう

と思って

生まれてきた。





最初は何もかもが

分からなかった。


ごはんは用意されてるし

ふとんはいつも敷かれているし

着るものも毎日用意されてるし

生活において

困ったことがなかった。


だからなのか


あれがほしい

これがほしい

こんなんじゃ嫌

こっちがいい


文句や我儘ばかり言って

満たしてもらっていることに

気付こうともしなかった。



最初は恵まれてることが

分かっていなかった。

掃除のやり方や

洗濯機のボタンの押し方

消費税の計算

何も分からない。


働かなくても

動かなくても

私がこの国で生きるために

必要な労力やお金が

どれほど必要で

どんなふうに巡っているのか知らなくても

私が知らない間に

誰かがやってくれるから

私は無知なまま

今日まで生きてこれた。




無知なことは楽なことだ。

自分がどれだけ恵まれているか

知ることもなく

あれが嫌だ

これが嫌だと

何の苦労もせずに

文句だけ言っていればいいのだから。

何も知らないことは

幸せだ。




でも私は

それじゃ嫌だ。


それでいいなら

生まれてくる必要ない。


私は無知なままは嫌だ。


私を生かすために

誰かがどれだけ大変な思いをしてきたか

誰かがどれだけ頑張ってくれたか

私が生きることで

どこで何がどんなふうに動いているか

どれだけのことが変わったか

ものが増えたり減ったり

私と同じ

まるで生きているかのように

そういうことを何も感じずに

ただ生きて死ぬのは

私は嫌だ。




ものが増えるのは私が生きているからだ。

ものが減るのは私が生きているからだ。


片付けないと散らかるのは

私が生きているからで

買いに行かないと手に入らないのも

洗濯しないと着る服が無くなるのも

ゴミが出るのも

私が生きているからだ。





散らかるのも

片付けるのも


無くて困るのも

困らないように準備するのも

私が生きているから起こる

アクションの一つ一つ。


毎日当たり前のように起きている

アクションの主人公を

私はやりたい。




苦しくても

楽しくても

どっちでもいいんだ。

最後まで

生きるためのことをするんだ。


私が生まれてきた理由なんて

そんなもんだ。