今日もどこかで生きている

生まれてきてよかったと思える人生を。

今日もSNSのどこかでお会いしましょう。

振り返り、反省。

子供の頃の私の周りって、楽しそうに笑う人がほとんどいなくてさ。

兄弟も従兄弟も含めて、子ども9人の一番目に生まれた私は、

「子どもたちの面倒見る役」

「お姉ちゃん」

言われなくても求められてるのが分かるから

居場所欲しさに、その役買ったよね。

誰かの面倒を見るの、全然好きじゃないのに。


子どもにとっての"1歳差"ってめちゃめちゃでかいよね。

私には同い年がいない。

同い年の兄弟と従兄弟は、磁石みたいにぴったりくっついて仲良しで

私はその中に入れなくて、"入れてもらえない焦り"から余計に

「お姉ちゃん」やるしかなくなって。


私はいつも顔色うかがってた。

下の子たちじゃない、大人たちの顔色を。

子どもたちの輪に入れないなら、大人たちの輪に入れてほしい。

…なんて、入りたくても、入れるわけがなくて。

親戚が集まって大勢いればいるほど

強烈な孤独感感じてた。


さみしい

怖い

居場所がない

どこにも入れてもらえない


それが辛くてたまらなくて、どこかに入れてもらおうと必死。

それでいつも空回りしてた。


自分の言動が原因で相手が笑ったとき、

私は"ここにいても許される"って思ったよね。

だからその逆で

相手が不機嫌で笑っていないと、

"私はここに居られなくなる"

"追い出される"って思って

全身が恐怖でいっぱいになった。


相手の顔色ばかり読んでいた私は

恐怖や不安を感じる感情にものすごく敏感になった。

「私のせいで怒ってるのかな」

「私が嫌な思いさせてるのかな」

とか思って、

不安を倍増させていく。


お願い、笑って。

でないと私

自分が存在してはいけないって気持ちになるから。


恐怖に支配された私もまた

恐怖で誰かを支配しようとして

無理やりにでも笑わせようとしていたの。


変顔してみたり、ドジしてみたり、体張ってみたりしたけどさ

一番手っ取り早くて効果あったのが、自虐だったんだよね。

私が自分を卑下すると、笑ってくれる人が多かった。

私は、自分が傷つくよりも

相手が笑っていないことのほうが怖かったし苦しかったし、辛かった。

でも、自分が傷ついていないわけじゃない。

でも、自虐がすっかり板についちゃってさ。

周りから見たすえひろって、どこからどう見ても

「傷つけてもいい人」だったよね。



まだ、頑張って役を演じていたんだねぇ。

もう十分だよ。

頑張った。とても

とても頑張った。

この役を終えよう。

私は、すえひろは

「傷つけてもいい人」じゃなく

「大事にされる人」だよ。