「judge」を書いて、翌日もう一度読み返してみた。
どうしてもジャッジしたがる人たちに聞いてみたい。
なぜ
そういう形で母の人生に関わろうとするのか。
それに、良かろうが悪かろうが「母が生きている事実」は変わらないのに
どうしてそれを見ようとしないのか。
ここの部分を読んで、凄い傲慢だなと思った。
だって私、母さんをジャッジする側にいたじゃん。
それが、母さんと何度も衝突を繰り返して、傷つけ合って心も病んで、そこまでやってやっと「母さん(他人)を変えることはできない」と気づいたのに、昨日の話は、自分がジャッジする側だったことを忘れたかのような物言いだ。
私には、母さんとそういうことをする時間があっただけ。
そういう時間がなかった人たちの気持ちを、私は考えていなかったのだ。
こんな傲慢な自分もいるんだなと思った。
でも、傲慢に気づいたからと言って、落ち込む必要はない。
そういう自分がいることに気づいたら、やり方や思考を変えてみればいい。
「気づく」というのは、考えを変える切っかけがきたというだけの話だ。
私が母さんと、散々やり合ったように
その人たちも、母さんと思う存分やり合ってみるといい。
私は何もする必要はない。
黙って見ていればいいだけだ。
2014年4月 箱根 芦ノ湖周辺にて 鬱蒼と茂る木々の中