今日もどこかで生きている

生まれてきてよかったと思える人生を。

今日もSNSのどこかでお会いしましょう。

広島城 4

本丸を抜けて、天守閣に辿り着きました。
↓↓

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広島城

おお~~~(* ̄∇ ̄*)
私はついに広島城の麓までやってきた!
広島城は別名「鯉城」といいます。
そう、カープです。
本当に昔からそう呼ばれていたのかカープバカなのかは不明。
白い壁と濃い木材の渋いお城です。
たぶん、原爆で一度全焼して再建築されてると思います。
全焼前も同じ造りだったのかな?

それでは、広島城に初入城します。観覧料370円
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広島城内は撮影禁止のため、展示されているものの写真はありませんが、私のことだから勉強したこともすぐに忘れるだろうと思って、メモを書いてきました(* ̄ー ̄)
以下、メモ通りです。
↓↓

広島城について*

昔の広島城の模型
広島城を中心に、武家屋敷が周りをぐるっと囲んでいて、武家屋敷の外側に商屋が栄えている。
武家屋敷の外側は大きな川で囲まれている。
いざという時は町全体が砦となる造りになっている。

広島城は400年ほどの歴史があるらしい。
広島の名前の由来は毛利輝元(毛利元就の孫)が「広い島だから広島にしよう」と言ったかららしい。

毛利輝元が家臣の井原氏に広島城の堀の普請(工事)を命じたらしい。
井原氏は材木や普請に関して詳しかったと考えられている。
広島城建築と同じ頃に行われた豊臣秀吉の京都方広寺大仏殿建築でも木材の調達に従事している。

広島城は2年ほどで完成したらしい。
石垣は広島の海辺からだけでなく、山口県の方からも運び込まれたそう。
広島の海だけじゃ足りなかったらしい。
石の運搬には川が利用された。
城が建つ前は太田川の水で地盤が柔らかくなっていたので、中国(?)の杭を打つ特殊な技術が用いられたらしい。
広島城は典型的な平城。

現在の府中町 → 城が建つ前は「国府」と呼ばれ、広島の政治の中心だった。

(西)日本の近世城郭*
広島城の城郭構成は、京都の聚楽第(じゅらくてい)を写したと言われている。
本丸に続く二の丸が小さく、馬出しとして利用された独特の構成。
更に太田川を天然の要害に利用している。


メモ書きは以上です。
途中意味の分からないところがありましたら失礼。

観覧しなきゃ知らなかったことがたくさんあった。
全てを理解することはできないけど、面白かったなぁ♪
中国の技術を利用したり京都の建物をモデルにしたり、いいと思うものは積極的に取り入れる姿勢を感じます。
柔軟というか、ミーハーというか(笑)
これって広島の県民性そのままな気がします。
今は「おしい!広島県」などで自国のものを大々的にアピールするようになりましたが、「取り入れる・受け入れる」ということも得意なんです広島は。たぶんね(笑)



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