今日もどこかで生きている

生まれてきてよかったと思える人生を。

今日もSNSのどこかでお会いしましょう。

人生が豊かにならないなら、働いたって意味がない

 

 

…と、思った。


今なら

そう思うことに

抵抗ない。







七里ヶ浜から帰る途中

珈琲飲んで

今週もよくがんばりましたと

自分を労いたくなった。





人生が豊かにならないなら、働いたって意味がない。



離婚したばかりの3〜4年前は

とてもそんなこと思える心の余裕なんて無かったけど。


でも私の性格と性質上、

「生活のために」

「生きるために」

「食うために」

を、働く理由にしていたら

遅かれ早かれ自滅するのが見えていた。


最初はそれでいいんだけどね。

だって本当に怖かったから。

私は誰かに養ってもらったことしかないから

自分で働いて食べていけるか

家賃払っていけるか

一ヶ月後の自分がどうなっているか

まっっっっったく見えなかったから

怖いなんて、そんなの当たり前。



最初は

「やばい、働かなきゃ!

食っていかなきゃ!」

でいい。


でも

どうせその理由でモチベを保っていけないなら

怖さの渦中にいるうちから

私みたいなやつが

どうやったらモチベ保ちながら働いていけるか

考えたっていいじゃない。



私はね

最初は

「楽しくないと無理」

って思った。


最初は

「私にとっての楽しいってなに?」

「私はどんなことを楽しいと思う?」

「私は何に楽しみ、楽しさを感じるの?」

って、働きながら自分を観察してた。

忙殺されたら

そんなこと吹っ飛んで

破壊行動に出たり

いろいろ失敗犯したけど。


破壊してその場から追いやられて

ゼロになって

イチからまた観察を始めるの。

失敗したぶん

反省に費やす時間も増えた。


「私はあれ、楽しくなかったんだな」

「あれは嫌だったんだな」

「我慢しすぎて爆発したんだな」

「私のボーダーラインはここだな」


とか。

そうやって

観察と検証、失敗、反省

3〜4年で幾度繰返したっけ。



最初は

「楽しくないと無理」

だったけど

「私は別に、仕事に楽しさを求めてないな」

って、途中から気付いた。


仕事は別に楽しくなくていい。

つまらないことや、華やかでないこと

無理に楽しくしようとしなくていいな、と。

真面目にコツコツ

つまらなかろうと

誰にも評価されなかろうと

きっと誰かの役に立っているのだろうと

私が思えて

今この時間は、社会の歯車として

きっと噛み合っているのだろうと

私が思えれば

仕事としては、それで十分だと思った。

それが私なりの

社会との

皆との

向き合い方だと思った。


それで

それでもう、十分だったんだけど。


社会の歯車として

なんとなく回り始めたような気がしてからは

少し、欲が出た。


どうせ働くなら

働くことで

人生が豊かになったらいいなぁと。


人生、それが何を指すかは

まだ観察途中だから

断言はできないけども。


でも

今の私、だいぶ豊かじゃない?


何が豊か?かは

先に気持ちがいっぱいになってしまって

うまく言語化できないや。


ま、いずれ

追々

言語化していけたらね。




今日もいい一日だった。


いい一日だった。

本当に。