今日もどこかで生きている

生まれてきてよかったと思える人生を。

今日もSNSのどこかでお会いしましょう。

コミュニケーションをケチると

電車のホームで

先頭が謎に空いていて

謎に左側に寄った男女がいて

並んでいるんだかいないんだかよく分からない状況で

リーマンが怪訝な動きをしながら

謎に空いている先頭に立ったんだ。

(男女を見て、並んでないよね?空いているんだよね?という動き。)



電車がきた。

それまで先頭を空けて横に立っていた男女が

リーマンを押し退けて

開いた扉に入っていった。

リーマンは「ええっ?」て顔をしていたし

リーマンの後ろに並んでいた私も「ええっ?」てなった。



横に並んでいた女の人が

白杖を持っていることに気づいたのは

電車に乗った後だった。



ああ、男の人は

目の見えない女の人を守るために

わざと先頭を空けて横に並んだり

リーマンを押し退けて

彼女ファーストをしていたんだなと

事情は分かった

………けども。




世の中……ってか、私は日本しか知らないけど

確かに障害を持っている人に優しくない健常者の方が圧倒的多数かもしれないし

障害を持っている人が生きやすい世界ではないと思うけれど

綺麗事捨てて本音を言えば

今みたいな… 男の人がひと言、

「こういう事情でここを空けています」と言ってくれれば

リーマンも事情を理解してくれたんじゃないかと

思うこともあるんだ。



男の人は

事情を知らないリーマンを睨んで牽制して

先に彼女を電車に乗せてから

続いて自分も乗った。

男の人の行動は

目の見えない彼女を守っているようで

敵を不毛に増やしたようにしか私には見えない。



これじゃあ障害を持っている人が嫌われても仕方がないと思うような

「障害を持っている人だって健常者に対して思いやりを持ってないじゃん」

と言いたくなるようなシーンを目にすることも

今日日、日本のどこにいても珍しくないと思う。

(今回は障害持ちではない男の人だったけど。)




なんだかなぁ。

ここでも

圧倒的コミュニケーション不足を感じるよ。


「ひと言言ってくれれば」


嫌わずに済んだりしたし

不毛に敵を増やさずに済んだりした

と、思うこと、自分の過去を振り返ってもいっぱいある。



ひと言言うだけで

どれだけそれらが回避できただろう。


コミュニケーションをケチると

後々大損するよねって

最近特に思うんだ。



はい、コミュニケーションケチったばかりに

ちょいと前までしんどい問題(人間関係)にぶち当たってました。

私も軌道修正せないかんね。