今日もどこかで生きている

生まれてきてよかったと思える人生を。

母の宝物

広島5日目。

母の依頼で、家中のアルバム&写真の整理をしています。

今回でほぼ最終段階。


まずはアルバムと写真を全て、一ヵ所に集めてみる。

想像していたよりも膨大な量。


カメラ屋で現像した写真が、ネガと一緒に封筒に入ったままのものや、学校や友人からもらってそのまま忘れ去られたもの。

ちゃんとアルバムに入っていたとしても、保存も保管も適当だから、アルバムは劣化しまくりでページを開いただけでビニールが破れる。

それらから写真だけを取り出し、母に封筒やアルバムはどうするか聞くと、「捨てていい」という答えが返ってきた。


いつもなら、使い道がない紙切れ一枚さえ捨てることを躊躇う母が、自分から捨てていいと言うのはどんな心境の変化なんだろう。

母の許可を得て、写真を抜き取ったあとのものは容赦なく紙ゴミ行きにする。


写真をなるべくシーンごとに分けるのは大変だった。

まるでトランプをシャッフルしたみたいにごちゃごちゃだ。

それでもなんとか大まかに分け終えて、他のシーンと混ざらないように輪ゴムで止めて、空き箱に入れると、写真は全部で三箱分になった。

あとはジャンルごとに付箋を貼っていきたかったけど、今回はそこまでできそうもない。

今回で最終段階になると思ったけど、続きはまた今度になった。



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使っていない棚を使って、今の母さんが大事にしているものたちを、母さんのベッドの近くに置いてみた。

今の母が大事そうにしているものは、私と妹の結婚式写真のようだ。

今後はもしかしたら、ここに弟の結婚式写真も置かれるかもしれない。

結婚式写真の下の棚に、輪ゴムでまとめた家族写真を置いて、母さんがベッドにいながらすぐに見れるようにしてみた。


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ただ眺めるだけでも思い出を楽しめるように。

そう思いながら母さんの大事なものを集める。

聖歌と、イエス・キリスト生誕シーンの置物もここに。

神の御言葉もここに。

母がいつでも神の声を聞けるように。



子供の頃、母にお土産やプレゼントをあげても、その辺に置かれていつも埃被ってて、大事にしてもらえないと思っていて悲しかった。

私があげたものなんてどうでもいいんだと思っていた。

嬉しくないんだと思っていた。


結婚式の写真も、式のときにあげたブリザーブドフラワーも、30年間もの家族写真も

動かしも触りもしないから、埃は被りまくりだし薄汚いし、写真は染みだらけだし、つくづく物を大事にしない人だと、これまではずっとそう思ってた。


母さんは大事にしてた。

母さんにとって、汚れないように、綺麗に飾ることが「大事にすること」じゃなくて

「捨てない」ということが、「大事にしている」ということなんだと、今回の写真整理で気がついた。


母さん、これで大事にしているつもりなんだ。

使わないけど
触らないけど
見ないけど

捨てずに置いておくというのが、母さんの「大事にする」ということだったんだ。


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埃を払って、棚を綺麗に拭いても、私が大阪に戻れば、またすぐに汚れるだろう。

でも、いい。
掃除しなくても、見なくても触らなくてもいいさ。
母さんはここを大事にしてくれるのが分かるから。
また来たときに、気が向いたら掃除してあげよう。