心の底から
生きていることがいいと思う自分がいる。
心の底から
ただ生きているだけで幸せだと思える自分がいる。
何度医者から死の宣告を受けても死なない母さんを見て
この人は本当に神さまに愛されていると実感している。
目の前で奇跡を見ている。
私も、奇跡に関わっていることを知る。
ただ生きているだけで
奇跡は何度だって起こることを知る。
私たちは本当に
すごい世界に生まれたものだ。
ブログを更新していなかった間も、今も、私はずっと広島にいる。
その間、いろいろなことが起こった。
やっとブログに目を向ける余裕ができたので
広島にいる間に起こった出来事を、かいつまんでみようと思う。
↓↓
これまで広島にいる間、私は実家に寝泊まりしていた。
昔から婆ちゃんとウマが合わない私は、今回も婆ちゃんとウマが合わず、婆ちゃんが嫌になって実家を離れた。
この時、母さんは病院に入院している。
母のいない実家は、私にとってますます居付く理由がなかった。
母さんがいつまで入院するかは、この時はまだ分からない。(今も分からないけど。)
母さんの退院を見届けるまでは、私は広島にいることを望んだ。
その間私は、ネカフェやビジホをジプシーするつもりだった。
そんな私を拾ってくれたのは、妹夫婦だった。
妹はともかく旦那さんときたら、姑だろうが小姑だろうが気を遣わない人で、これまでは「変な人」と思っていたけれど、この時は本当にありがたかった。
そして二馬力で働く妹夫婦にとって、飯炊きババアの存在もありがたいものだったらしいww
妹が飼い始めた可愛い金魚ちゃん
ちゃんと名前もあるらしいけれど、私は「朝ごはん・昼ごはん・夜ごはん」と呼んでいる。
母さんの具合がいよいよ悪くなってきた時は
車をぶっ飛ばし、飛行機に飛び乗り、母さんの妹たちが文字通り駆けつけてきた。
兵庫と東京という距離にも関わらず、連絡を受けた翌日に叔母たちは病院に来た。
あまりの早さにみんな驚いた。
叔母たちが実家で作ったご馳走を頬張りながら、家事の手伝いもせず存分に甘えさせてもらった。
あれもこれも一度にできない私は、なにも頑張らなかった。
できないことはやらなかった。
私が飯を作らなくても誰かが作ってくれる。
私に寝床がなくても誰かが用意してくれる。
なにも出来ない、なにも頑張らない自分の価値を信じてみた。
ご馳走を用意してくれた叔母たちには、「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」を伝えた。
ご馳走を食べ終えたら、そのまま妹夫婦の車に乗って、彼らの家に連れ帰ってもらった。
あらゆる意味で安全な寝床を提供してもらい、熟睡する。
起きたら彼らの飯の用意と洗濯をする。
私が妹夫婦の家にお世話になっている間、私は一切の家事を任されていた(笑)
その間、妹と二人でアートアクアリウムも見に行ったし
(また今度詳しく話しまーす。)
妹夫婦ん家で家事をしながら、合間に線路のど真ん中で写真を撮ったり、天満川に沿って歩いてみたり
可愛い花壇を眺めてみたり
前から行きたかった横川駅で遊んだり♪
やっふー
路面電車(^0^)/
母さんが落ち込んで弱気になった時は
あの手この手でメッセージを伝えようとしたり
(妹の本借りてきた。)
おふざけしてみたり
おっとスマホの電池がなくなってきたので次回に持ち越し。