死を意識すること
いつ死んでもいいように生きていたいと思っています。
今この瞬間、寿命が尽きてもいいように。
と言いつつ、今この瞬間に余命宣告されたら同じことが言えるかは分からないけれど。
死を覚悟していると言うには軽いかもしれない。
けれど、死を意識しながら生きていたいと思ってる。
今この瞬間に死んでもいいと思える生き方は
今この瞬間、本気で生きていることだと思うから。
私にはやりたいことや叶えたいことがたくさんある。
それは「珈琲が飲みたい」とか
「布団で寝たい」とか
やりたいことと言うには小さすぎるものばかりだけれど
「いつかやればいい」と後回しにしがちじゃない?
だから私は小さすぎるその望みに耳を傾けたいと思う。
もしも何一つ望みを叶えないまま、それが最期になったとき
私は「嫌だ、まだ死にたくない!」と言うだろう。
多少の後悔はどうしたって感じると思う。
だけどそれは少なければ少ないほどいいし
少なくする努力はできるだろう。
そう、生きているうちに。
いつだってやりたいことをやっている自分でいたい。
いつ死んでもいいように。
「chiro」として生きた時間はいつか必ず終わりを迎えるから
その時は「生まれてきてよかった」と言って地球を去りたい。
今やりたいことは、今やるんだ。
いつ死んでもいいように。
それが「chiro」の生き方であってほしい。