今日もどこかで生きている

生まれてきてよかったと思える人生を。

今日もSNSのどこかでお会いしましょう。

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「chiroのおかげで助かってる」

「いてくれるだけでいい」



私はこれらの言葉を、夫にすごく期待していた。

でもその言葉をもらったことは一度もない。

私、分かってしまった。

本当は誰に言ってほしいのか分かってしまった。


全部、お母さんに言ってもらいたかったんだ。


私、こんなにもお母さんを助けてあげたかった。

私、こんなにもお母さんの力になりたかった。

でも、私はお母さんを助けてあげることはできなかった。

私じゃお母さんを笑わせてあげることはできなかった。

お母さんの苦しそうな顔、辛そうな顔が何より辛かった。

それがいつしか

「私じゃ駄目だ、お母さんの力にはなれないんだ」

って、罪悪感をいっぱい溜め込んでしまった。


私、夫とお母さんを重ねてた。


仕事が忙しくて

いつもいっぱいいっぱいで

余裕がなくて

いつも自分で何とかしようとしてばかりで

人に頼ろうとしなくて

自分も他人も信じられなくて

そんなお母さんのような人を、私は選んだんだ。


私は夫を助けたかった。

でも本当に助けたかったのはお母さん。

夫を助けることで、助けられなかったお母さんを助けようとしてた。

できなかったことをやり直そうとしてた。

そのための結婚だったんじゃないかと思うくらいに。


こんなにお母さんを助けたくて仕方がなかったのに

こんなにお母さんのことが大好きで

お母さんのためなら自分を犠牲にできるほど

お母さんのことを愛していたのに。


できなかった。

助けられなかった。


私じゃお母さんを助けてあげることはできなかった。

「助けたいのに私にはできない」という思いが

私に夫を責めさせた。

全く癒されていない自分がそこにいるような気がしてる。


「いてくれるだけでいい」

その言葉を求める裏には


「私、本当は何もできないの!」


「力になりたくてもなれない」

「勉強もできない」

「仕事もできない」

「頑張れない」

「頑張るとしんどい」

「そんな私にどうしてごはん食べさせてくれるの」

「食べさせてもらうのが申し訳なくて仕方がない」

「何もできない私だけど、ここにいたい」

「私のこと邪魔じゃない? 迷惑じゃない?」

「自信がない」

「私は生まれてきてもよかった?」

「お母さん幸せ? 私がいて幸せ?」

「私がもっといい子だったら、お母さんを幸せにしてあげられたのに」


「ごめんね、本当にごめん」



自分にそんな言葉を言わせ続けて

何やっているんだ私。


自己犠牲をするのが悪いんじゃなくて

自分を犠牲にしてしまうほど

お母さんのことが好きで仕方がなかった。


そんな自分を否定し続けてた。

本当にごめん。





2016年1月 広島にて