今日もどこかで生きている

生まれてきてよかったと思える人生を。

今日もSNSのどこかでお会いしましょう。

自分を知ったぶんだけ、心に余裕が生まれる。

この記事を読み返していると、

自分がなぜ、他人に気を遣うのが嫌いなのか

見えてきた。


私にとって

他人に気を遣う行為って

結局は心に余裕が無くなる状態になるわけだから

だから嫌なの。


心に余裕のある状態でなら

他人にも気を遣えるし

気を遣うのも吝かではない、

って感じだけど


気を遣っている最中は私、

相手に一点集中するんだよね。

相手が何を言っているか聞き漏らさないよう、

耳と目に物凄い意識集中させてるし、


(なもので、相手の目をガン見する癖がある。

特に今、みんなマスク着用だから

聞こえ辛いどころか、ほとんど聞こえない。

仕切り板あったらもう、音声オフモードにしてる?

ってくらい聞こえない。

目から情報収集するしかないってのもある。)


相手の言葉を聞き漏らさないようにしながら、同時に

相手の価値観や性質を

超短時間で分析して

カテゴライズして

カテゴリー毎に振り分けたりしてるのよ。

(これ嫌がる人がいるの分かるんだけど、ごめんね

こうでもしないと私、その人のことがまじで理解できないし

分からんくなるし

酷いと覚えられない、記憶が定着しないのよ。)


誰かと会ったり、しゃべったり

そんな当たり前で

何でもないことが

私にとってはCPUの処理が追いつかなくて

いつフリーズしてもおかしくない状態。

だから

人とちょっと話しただけでもEPガン減りするし

EPが減っている状態で他人に気を遣うと

信じられないくらい疲れてしまう。


こんな状態の私に

心に余裕あるわけない。


そんな、自分なりの事情や理由を

「他人に気を遣うのが嫌い」

って、簡単な一文に落としてた。



いくら何でも雑すぎじゃない!?



自分にそんな雑に理解されたら私、

凄い嫌だ。


もっとしっかり

腹ん中探らなきゃ。

自分の腹のモノのことは、自分で見なきゃでしょ!


自分を知ることは

知ったぶんだけ

心に余裕が持てるってことなんだと思うから。